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アクロン (オハイオ州) : ミニ英和和英辞書
アクロン (オハイオ州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

オハイオ : [おはいお]
 【名詞】 1. Ohio 2. (n) Ohio
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

アクロン (オハイオ州) : ウィキペディア日本語版
アクロン (オハイオ州)[す, しゅう]


アクロンAkron)は、アメリカ合衆国オハイオ州北東部に位置する都市。クリーブランドの南約55kmに位置する。人口は199,110人(2010年国勢調査)〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.〕で、オハイオ州ではコロンバス、クリーブランド、シンシナティトレドに次ぐ第5の都市である。アクロンに郡庁を置くサミット郡、およびその東に隣接するポーテージ郡の2郡からなる都市圏は703,200人(2010年国勢調査)〔の人口を抱えている。より広域的には、アクロンはクリーブランドの広域都市圏に含まれており、その人口は350万人を超える〔。
アクロンは1825年に創設され、その初期から運河交通の要所となり、様々な産業が興った。南北戦争前後から20世紀初頭にかけては、北軍の食糧となったオーツ麦のバー、全米初のパトロールカー、ヨードを添加した食塩など、次々と発明品が生み出された。同じ頃、グッドリッチグッドイヤーファイアストン、ゼネラルタイヤと、タイヤメーカーが相次いで創業し、これらタイヤメーカーが労働者用の住宅地開発にあたったこともあって、1910年代の10年間で人口は3倍増、工業都市として高成長を遂げたアクロンは「世界のゴムの都」と呼ばれた。20世紀も後半に入るとタイヤメーカーは買収や移転で次々とアクロンを離れ、グッドイヤーを残すのみとなったが、残された研究インフラの存在によって、アクロンはポリマー産業の中心地へと変貌を遂げてきている。
産業面以外でも、アクロンは革新的な出来事が多く起きた街であった。1847年には、今日全米で標準となっているK-12の学年制教育の先駆けとなったアクロン学校法が成立した。南北戦争前夜には、ジョン・ブラウンがアクロンを事業活動の拠点とし、元奴隷であったソジャーナ・トゥルースが奴隷制度廃止と女性の権利を訴える演説をアクロンで行った。全米で初めて、アルコール依存症が疾患として認められ、治療が行われ、アルコホーリクス・アノニマスが発祥したのもアクロンであった。
== 歴史 ==

=== 初期 ===

1811年、現在のアクロン市ではブフテル・アベニューとブロードウェイ・ストリートの交差点があるあたりに、コネチカット土地会社の測量家ポール・ウィリアムズと、コネチカット西部保留地の将軍サイモン・パーキンスが入植し、当時掘削中であったオハイオ・アンド・エリー運河の最高点であったこの地に入植地の創設を提案した〔Akron's Historic Timeline: 1800-1849 . City of Akron. 2016年2月6日閲覧.〕。入植地の名は、ギリシア語で「頂上」もしくは「高いところ」を意味するから付けられた〔Liddell, Henry George and Robert Scott. . ''A Greek-English Lexicon''. Oxford: Clarendon Press. 1940年. 2016年2月6日閲覧.〕〔Akron, Ohio . ''Ohio History Central''. Ohio Historical Society. 2016年2月6日閲覧.〕。その後1825年、現在のサウスアクロン地区に相当する地域が区画され、オハイオ運河の掘削に携わったアイルランド系労働者たちの小屋、およそ100棟がその近くに建てられた。その後、1833年にはエリアキム・クロスビーが「ノースアクロン」を創設し、1836年にサウスアクロン・ノースアクロンの2つが合併して、アクロンという1つの村として正式に法人化された〔。
1840年ポーテージメダイナ、およびスターク各郡のそれぞれ一部を分割・再編する形で、サミット郡が創設されると、翌1841年には、サミット郡議会がカヤホガフォールズ郡庁所在地に指定したが、州議会がこれを覆し、郡庁所在地は住民投票に基づいて決めるようにと差し戻した。その結果、郡庁はアクロンに置かれることになった〔Doyle, William B, LL.B. ''Centennial History of Summit County, Ohio and Representative Citizens''. Chicago: Biographical Publishing Company. 1908年.〕。その頃、アクロンからペンシルベニア州ビーバーへと通ずるペンシルベニア・アンド・オハイオ運河が開通し、炻器下水管漁具、農作業道具などの産業が興った〔Howe, Henry. ''Historical collections of Ohio: An encyclopedia of the state: History both general and local, geography with descriptions of its counties, cities and villages, its agricultural, manufacturing, mining and business development, sketches of eminent and interesting characters, etc., with notes of a tour over it in 1886''. State of Ohio, Laning Printing Company. 1896年.〕。1847年には、アクロン学校法が成立し、今日ではアメリカ合衆国全土で用いられている、K-12の学年制による教育の先駆けとなった〔Akron School Law . ''Ohio History Central''. Ohio Historical Society. 2016年2月6日閲覧.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アクロン (オハイオ州)」の詳細全文を読む




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